当時の滝野町は東城町、社町と合併し現在加東市となっています。思い返せば、なぜか父親は加西市や加東市、いわゆる北播地方に連れて行ってくれたのですが、田園風景が続く渋滞とはほぼ無縁、有料道路を使う必要も駐車料金もかからない場所なので、今ならなんとなく気持ちは理解できます。しかし当時の私は車に弱い子供だったので、曲がりくねった山道で気分が悪くなってしまい、あまり良い思い出がありませんでした。残念な話です。
さて、実際闘龍灘に到着してみると当時の記憶がありありと甦ってきました。この場所で間違いありません。高い場所が苦手な私は橋を渡ることができず、川の中央の岩場まで行くことができなかったのです。大した高さではないのですが、大人になった今でも若干腰が引けてしまうのは全く情けない体たらくです。今は時期ではありませんが、鮎がこの激流を遡ってくるらしいです。子供の頃に見た遡上する魚は鮎だったわけですが、私は勝手にニジマスか何かもっと大きな魚と勘違いしていました。
さすがに12月にもなると風が冷たくて外をうろつくのも3時間が限界です。体を壊さない前に車に戻りましたが、今回行けなかった場所もまだあるので日を改めたいと思います。
この近辺は昭和の下町風のモダンな家屋が多く残っていて、非常に親しみが湧きます。
明日は町で見つけた古い建物を紹介したいと思います。
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